/1308734693*スバルの歴史では隼のことは知っていましたが、零戦にもこのような形で関わっていたのですね。日本車では本田とスバルが面白いですね。次の水平対向6気筒ではポルシェでしょうか?買えませんが...

中島 一式戦闘機1型丙「隼」
 
戦闘機王国と言われた中島飛行機が、800馬力級では世界最優秀の戦闘機と評された陸軍九七式戦闘機の後継機として送りだしたのがこの「隼」。

 しかし、その設計・試作には多くの紆余曲折があった。陸軍の要求は、低翼単葉では最高と言われる九七式の運動性を維持しながら速度、上昇力を大幅にアップさせ、さらに行動半径800km以上という過酷な内容。

三菱 零式艦上戦闘機52型


昭和12年海軍は96式艦戦に代わる次期戦闘機として12試艦戦の計画を三菱、中島の両社に提示し試作の指示をした。中島は実物大の木型モックアップの直前で辞退した。一方三菱は堀越二郎技師を主務者として取り組み、試作1号機は昭和14年4月に初飛行をした。

 当初発動機は三菱の「瑞星」を搭載したが、3号機から中島の強力な「栄12型」に換装されプロペラも2翅から3翅に変わった。本機はぎりぎり極限までの軽量化に努め、高速性と格闘製に優れ、また強力な武装火器や落下式補助タンクを採用し航続距離についても申し分なかった。しかし開発過程では主翼の剛性不足からフラッターに悩まされ何度も苦い墜落事故を起こしている。終戦まで三菱だけではなく中島でも生産され総数10,425機と日本の最多数生産機となっている。

21型では
昭和12年に開発された、栄21型エンジンには、スーパーチャージャーが、装備されている。驚くべき事だ。
また点火プラグは、1気筒当たり2本有る。
ミスファイアーを防ぐ為である。出力は950馬力である。
設計、製作は中島航空機製作所である。現在の「富士重工業」である。スバルである。
中島と言えば、今でもアメリカ人は覚えている。陸軍の隼戦闘機を彼らは「ナカシマ」と呼ぶ。
2005年3月 渡米した時、「ナカシマ」が今は、「富士重工業
であると説明しても、アメリカの無線技術者は理解しなかった。
「ナカシマ」=「スバル」と言ったら彼らは理解した。
つまり、富士重工業の設計者が70年前、栄21型エンジンを設計し、三菱重工ゼロ戦の機体の製作を行なった。
ゼロ戦と、隼は、富士重工業の製作したエンジンで飛行していたのです。


/1308734694*武蔵工場とは現在の武蔵野中央公園のようですね。

米軍機による日本本土空襲、第一目標は中島飛行機のエンジンだった。

1、中島飛行機武蔵工場への爆撃

米軍は日本空軍の補給力を全滅するため中島飛行機武蔵製作所を本土編隊爆撃の第一目標とし 昭和19年11月24日の空襲以来、終戦まで10数回の爆撃が行われ爆弾500発が命中し 200余名の殉職者と500名を越える負傷者を出し工場は全く廃墟と化してしまった

武蔵工場

中島飛行機株式会社は大正6年12月群馬県太田町に創立された。軍需生産で拡大し続け昭和13年5月には、東京都北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が増強建設された。

昭和16年11月隣接地に多摩製作所が増設され陸海軍に分かれ生産を行った 昭和18年10月時局の要請により両製作所を合併して武蔵製作所と呼称するに至った。

この間従来の従業員に日本全国からの徴用工員男女動員学徒を加へその総数は5万人に及び日夜生産に励み国内第一の航空発動機工場となった。